アディダス (adidas) //ブランドWIKI・ブランド情報・口コミ

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【アディダス歴史】

「トレフォイルロゴ」
1972年に初登場。「月桂樹の冠」をモチーフとした三つ葉マーク。現在は復刻シリーズに対して使われている。
「パフォーマンスロゴ」
1991年に初登場。 別名:エキップメント、スリーバー。 三本線で三角形をかたどったマーク。当初は高機能素材の商品のみに使用され、各カテゴリの最高機種「ベスト・オブ・アディダス」を意味していた。 その後、一般ユーザーからの人気が高まり、1997年より通常アイテムにも採用されるようになった。
「グローブロゴ」
2002年に初登場。 円に斜めの3本線が入ったマーク。スポーツウェアを専門に採用された。
「リニアロゴ (「adidas」の文字のみのロゴ)」
アディダス・アドベンチャー (adidas ADVENTURE)
1990年代初頭にアディダスのアウトドアラインとして日本から登場したブランド。後にドイツのアディダスでも製造されるようになった。 ロゴは「adidas ADVENTURE」の文字だけ。
1900年 創始者であるアドルフ・ダスラーがドイツ・ニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラッハで、靴職人の息子として誕生。
1920年 ドイツ・ニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラッハで、兄ルドルフ・弟アドルフのダスラー兄弟が、靴製造の会社「ダスラー兄弟商会」を設立。主にルドルフが販売、アドルフが生産を担当。
1948年 兄弟との意見対立により「ダスラー兄弟商会」を解消。アドルフはアディダス社を設立。「アディダス」とはアドルフの愛称「アディ」と「ダスラー」をつなげたもの。なお兄ルドルフはRUDE社を設立。これが翌年、プーマ社になる。
1965年 テニスシューズ「ハイレット」を発表。これが後のスタン・スミスとなる。
1970年 オールレザーのバスケットシューズ、「スーパースター」発表。
1970年以降、アドルフの息子であるホルスト・ダスラーが実権を握り始める。ホルストはスポーツ広告代理店ISLを電通と共同で設立し、フアン・アントニオ・サマランチ(第7代IOC会長)やジョアン・アヴェランジェ(第7代FIFA会長)、プリモ・ネビオロ(第4代IAAF会長)らといったスポーツ界の大物達と太い人脈を持った事などから、後の近代オリンピックやFIFAワールドカップといった大規模なスポーツイベントの商業化に大きな影響を与えたとされる[4]。また、これによりスポーツ界全般においても大きな力を持つようになった。この時期、アディダスは売上高で世界一のスポーツ用品メーカーである。
1987年 4月10日ホルスト・ダスラーが51歳の若さで病死。アドルフの娘たちとホルストの息子たちとの間での経営権争いもあり、アディダスの経営は迷走を始める。
1990年 フランス人実業家ベルナール・タピが株式の過半を取得、経営権を握る。これによりダスラー家とアディダス社との資本関係はほぼ消滅した。この頃には、ナイキ、リーボックに次ぐ業界3番手に転落していました。
1993年 銀行団主導でフランス人実業家ロベール・ルイ・ドレフュスが経営権を握る。ドレフュスのもとでアディダスは黒字化、復活を果たした。
1995年 フランクフルト証券取引所に上場。
1997年 ウインタースポーツ用品メーカー、サロモンを買収。世界ナンバー2のスポーツ用品メーカー、アディダス−サロモングループになる。これによりテーラーメイドゴルフを傘下とした。
2005年 リーボック株を取得し、リーボックをグループに加える。10月25日、フィンランドのスポーツ用品メーカー、アメアスポーツコーポレーションにサロモン部門を売却した。
アディダスグループの売上げは約100億ドル。ナイキの売上げはグループ推定で約137億ドルである。

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